誰もが健康で生きがいをもち幸せに暮らせる
「健幸都市」の実現

 日本は、過去に経験のない少子高齢化人口減少社会が進み、人口も数十年後には約9000万人まで減少すると予測されています。このような時だからこそ、瑞穂市は次代を担う子どもたちが、夢を描き希望がもてる将来を見据えたまちづくりが、重要となります。
 そのために、私は目先に捉われることなく、瑞穂市に明確なビジョンを示し、実行することがリーダーの責任だと考えます。
 幕末の思想家吉田松陰は、「夢なき者に理想なし、理想なき者に成功なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし」と名言を残しました。
 私は、「ビジョンなきリーダーに成功なし。」と自身に言い聞かせています。

覚悟がもたらす勇気

 私は生まれてから今日まで「故郷は瑞穂市」、このまちへの愛着は人一倍強いと思っています。
 私の母は64歳、父は81歳で他界しています。2人とも働き者で、思い浮かぶのはいつも機織り仕事をする姿です。母は4人の妹弟があり、13歳のときに母親を亡くしました。若くして家族の生活を支えなければならなかった母の口癖は「つらいことの後には、必ず良いことがある。」でした。この言葉がつらい暮らしの経験から得た母の生活信条だったと思います。
 一方、父は穂積の発展を夢みた郷土愛の強い人でした。父から聞いたことは、「大きな夢を持て。」「穂積町はやがて市へ発展するはず、市長になって市民のために尽くせ。」です。物心ついた頃から中・高・大学時代も、働きだしてからも、結婚してからも、孫の前でも、そして瑞穂市になってからも、何度も何度も聞かされました。思えば、この父母の言葉があったからこそ、今の自分があるのだと思います。私が市長になったことは、両親とも知らず他界しています。

 「子は親の鏡、親は子の鏡」

 子どもは親の行動を映すもの。親は子どもの範になるべきと言われています。
 私は、繰り返し聞いた両親の言葉から感謝の気持と、「感謝から生まれてくる意欲」を掴み取りました。感謝から生まれた意欲は、私の人生の節々で流されない決意となり「覚悟がもたらす勇気」へと成長しています。
 私の瑞穂市へのまちづくりへの情熱は、途絶えることはありません。